彼の技術は、今日の日本では滅びつつある『乾塩法』であ
る。彼の『乾塩法』は、昭和の初め、ハムづくりの本場ドイ
ツで学ばれた宮川与四郎氏よりの“直伝”である。彼は、そ
れを教えられたのではない。叩き込まれたのである。宮川与
四郎氏の厳しい指導なくして、今日の中橋義雄はない。彼は
今も、師を敬愛している。
 彼の「職人」人生は、決して平坦なものではなかった。正
直、給料の出ない時も何度もあった。一日、100km近い
道程を、自転車に乗ってハムを売り歩いたこともある。しか
し、どんな時にあっても、彼はハムづくりを止めなかった。
 「職人」の苦労は、そのまま妻「澄子」さんの苦労でもあっ
た。彼は、彼女を「お母ちゃん」と呼ぶ。「職人」中橋義雄は、
「お母ちゃん」に頭が上がらない。
中橋義雄の主な略歴
昭和5年  滋賀県で誕生する                 
昭和22年 宮川与四郎に師事し職人として修行する       
昭和25年 澄子婦人と結婚                  
昭和62年 中橋義雄ハムを完成する              
平成元年  (株)天竜畜産公社に顧問に就任し、シリーズ化を目指す
平成6年 3月中橋義雄ベーコン完成               
平成6年10月中橋義雄ボンレスハム完成             
平成7年 3月中橋義雄ロースハム完成              
 彼は自分の作り出したハムを、出会う人ごとに『私の息子です』といって紹介する。彼のこの
ハムにかけた「思い入れ」が伝わってくるようである。事実、彼の『息子』は、彼の「苦労」で
あり、彼の「夢」であり、彼の『人生』そのものであった。そして今、一層成長した『息子』を
世に送り出そうとしている。そこに、職人としての「職人」中橋義雄の『喜び』と『誇り』があ
る。